レオナと鉄道

Yahoo!ブログ終了に伴い 9月6日に移行して来ました。

山手線の103系が引退から34年

 

 

1963年12月28日~1988年6月25日まで 黄緑の国電
で親しまれた 山手線から 103系が引退して34年です。
 
 
 

Yahoo!ニュースから拾った画像
クハ103-773
クハ103-811
 
ATC化の理由  50年前の 1972年6月23日
日暮里駅12番線で 発車しようとしてた
京浜東北線大宮行きに 後から鶯谷を遅れて来た
山手線内回りの103系が 非常ブレーキをかけたが 間に合わなく、追突して止まり 10人もの怪我人が出て それを重く受け止めた国鉄
山手線、京浜東北線ATC化する事が決定しました。8ヶ月後に冷房量産車  低運2つ目が入りますが
 
1974年1月 からATC化に伴い 1年の在籍で
16両 のクハ103が高槻へ
高運転台の投入は1979年10月2日で終わり
1981年12月にATC化され 信号機は塞がれました。1984年で103系の製造が打ち切られ
ラストで 総武線から  ATC改造して
クハ103-811と818が来て  池袋電車区山手線は
290両
 
 1985年1月31日  205系が40両入り
103系横浜線へ同年7月9日に 量産車が入り
8月 9月  品川電車区103系埼京線へ以降し
悲惨な出来事でした。 
 
205系埼京線用にして欲しかったです。
1985年11月1日 品川電車区は 山手電車区
同年暮れに山手線から京浜東北線へ転属したり
 
JRになってから 8ヶ月後に205系が入り
写真右の山68編成は 3月13日のダイヤ改正日の
74運用で 山手線を離脱
 
1988年6月25日  一般運用を終えましたが
100編成 最初に入ったATC と冷房量産車で
最後に残ったのが  池7 山55編成になり 1988年3月に山100へ変更されました。